大判例

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東京地方裁判所 昭和60年(人)6号 判決 1985年9月05日

請求者

甲野花子

右代理人

平田達

鈴木國昭

被拘束者

甲野二郎

右代理人

中田早苗

拘束者

甲野一郎

右代理人

横溝一

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。

本件手続費用は拘束者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求者

主文同旨

二  拘束者

1  請求者の請求を棄却する。

2  本件手続費用は請求者の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の理由

1  当事者の身分関係

請求者(昭和二三年五月二七日生。)と拘束者(昭和二三年二月一日生。)は、昭和五二年一一月三〇日婚姻の届出をなし、その後昭和五八年九月一三日一旦協議離婚したが、同月二九日再度婚姻の届出をした夫婦である。

被拘束者は、拘束者・請求者間の長男として昭和五三年五月二日出生した。

2  拘束の事実

被拘束者は、後述の如く現在拘束者に監護されているが、被拘束者は七歳(小学校一年)の児童であり、意思能力のない者であるから、これを監護する行為は、その方法の当、不当に拘らず、当然その児童に対する身体の自由を制限する行為を伴うのであるから、その監護自体が人身保護法(昭和二三年法律第一九九号、以下「法」という。)及び人身保護規則(昭和二三年最高裁判所規則第二二号、以下「規則」という。)にいう拘束に当たるというべきである。

3  婚姻生活及びこれが破綻に至る経緯

(一) 婚姻当時、拘束者は、拘束者の実父が経営する板ガラス業を手伝い給料として月二〇ないし二五万円位を受け取つていた。昭和五三年五月二日被拘束者が出生し、翌昭和五四年右実父が死亡した。

(二) 請求者の父親死亡に伴い請求者が遺産相続した土地の売却資金を頭金にして、拘束者の実父らの住居であり、板ガラス業をしていた建物を改築することになつた。昭和五五年一〇月頃、右建物を取り壊し四階建のビルを建築した。

新築ビルは、一階を店舗とし、二階は拘束者の母である甲野フミ(以下「フミ」という。)の居室、三階は拘束者ら家族の居室、そして四階は、請求者が日本舞踊の名取であつたことから同所で舞踊教室を開設することとし、舞台などを設けた。

右ビル建築を契機に板ガラス業は法人組織化することとなり、その頃有限会社甲野ガラス(以下「甲野ガラス」という。)を設立した。甲野ガラスの売上は平均月五〇〇万円はあり、荒利二〇〇万円は確保できる状態にあり、業績は順調であつた。拘束者も一生懸命仕事に精を出した。

(三) ビル新築の翌年、昭和五六年春頃より、拘束者の遊興とりわけ女遊びが激しくなつた。浮気の相手は度々変わつたが、特に錦糸町のクラブ・シルバーの女性(この女性は妊娠させたこともある)には一〇〇〇万円以上の金を注ぎ込む程であつた。

拘束者は、それらの支払いにカードを利用し若しくは甲野ガラスの小切手を乱発した。

拘束者の度外れた女遊び、その結果としての湯水のごとき金銭費消のため順調であつた会社の経営が一気に倒産の危機に瀕するまでになつた。そして同時に家庭生活は完全に崩壊した。

昭和五七年二月頃には、先行きを悲観したフミが自殺を図る事件も生じた。

(四) 昭和五八年八月三〇日、請求者とフミとが、拘束者に二度と遊ばないよう話をつけるため、拘束者の居る前記シルバーに出向いたところ、拘束者は先回りして自宅に帰り、腹いせに請求者の着物等をハサミで切り裂く等暴れまくり、パトカーも臨場する騒ぎとなった。

(五) 請求者は右事態に接し、拘束者との結婚生活はもはやこれまでと決意し、同日その場で拘束者に対し離婚届を突き付け署名することを承諾させた。そして同年九月一三日、請求者は離婚届を出した。

しかしながら、請求者は、稽古場を持つていたこともあつて短期間に異例と言われる程の速さでお弟子さんが増えてきており、それらお弟子さんの発表会のため、また将来は踊りで自活できればと考えていたこともあり、離婚届出後も従来どおりの生活を続けていた。その間拘束者は、今度こそ真面目に仕事をするから籍を戻してくれと懇願し続けた。

請求者は堅い決心の下に離婚届を出したのであるが、被拘束者のことも考え、また拘束者の言葉に一縷の望みを託し、今一度入籍することにし、同月二九日再度婚姻届出をなした。

(六) しかし、その後も拘束者の夜遊びは依然として続き、被拘束者のお年玉にまで手を出すようになつた。昭和五八年一〇月頃から生活費は全く取れず、米代にも事欠き、請求者は度々質屋通いをせざるを得ない状況にあつた。その上更に問屋からの支払請求、サラ金からの執拗な督促を受け、請求者らは心身共に疲れ果て生きているのが不思議な位であつた。

(七) 請求者は、離婚の決意を固め、昭和五九年二月二日、被拘束者と共に近くの借家に引つ越したものの、拘束者からの懇願等により、約一カ月後、不本意ながらまた戻ることになつた。

(八) その後も、拘束者の生活は変わらなかつた。かえつて、サラ金のほか一見ヤクザ風の者からの電話によるあるいは自宅へ押し掛けての取立てがより厳しくなつた(拘束者はその言い訳の席に被拘束者を同席させることもした。)。

そのため請求者は、このまま会社が倒産しそれら暴力的債権者が押し掛けてくる事態になると、昭和六〇年四月に入学予定の被拘束者を近くの小学校に通学させられなくなるおそれを感じ、昭和六〇年二月一六日、離婚の決意を新たにすると共に、東京近郊では拘束者に発見されてしまうと考え、縁もゆかりもない土地ではあつたが、和歌山県乙町の肩書地を安住の地と定め、被拘束者と共に家を出た。

4  被拘束者が拘束者らに監護(奪取)されるに至つた経緯

(一) 請求者は、和歌山県乙町の観光ホテル(旅館)「山万」に仲居として勤めることとし、同ホテルの社宅に入居した。被拘束者は右社宅付属の保育園に通いはじめ平和な生活がスタートした。そして同年四月、被拘束者は、近くの乙町立乙第一小学校に入学できた。

被拘束者は、友達も沢山でき、学校が楽しいと喜び、漸く本来の子供らしさを取り戻した。

(二) 一方、請求者らの家出後、拘束者は、請求者らを執拗に捜し回り、興信所の男を同道し、請求者の実家に盗聴器を仕掛けた。

(三) 右盗聴器により請求者らの居所を察知した拘束者は、昭和六〇年五月六日夜、興信所の男と共に、突然前記「山万」の社宅に押し掛けてきた。その晩は、「山万」の社長、社員そして乙警察署員の説得により、翌朝九時半再度冷静な話合いをすることで拘束者らは一旦引き上げた。

しかしながら、拘束者らは翌朝登校途中の被拘束者を待ち伏せて呼び止め、強引に車に押し込み連れ去つてしまつた。

5  拘束の違法性及びその顕著性

(一) 拘束者の監護状況

(1) 拘束者は、現在被拘束者をその監護下において江丙小学校(一年生)に通学させているようである。

(2) 請求者が家を出た後の昭和六〇年三月頃、甲野ガラスは不渡手形を出し倒産し(不動産登記簿謄本によれば、抵当権を有する債権だけでも九〇〇〇万円に達している。)業務を完全停止しており、拘束者は、甲野ガラス倒産後定職についている様子はなく、被拘束者の食事の世話はフミがしているようである。そして、拘束者は、サラ金、暴力金融を含め一億円以上の借金を抱えており、それら債権者の取立ては相当に厳しいものが予想されるところ、先のとおり拘束者は、以前暴力的債権者による取立ての際、誠に無神経にもわざわざ被拘束者を同席させたこともあり、児童に対する教育的配慮が全くない者である。

また、現在拘束者が入居しているマンションは、家賃が相当高額のようであり、無収入の拘束者がいつまでも借りていられるとは到底思えない。

(3) フミも、拘束者の遊蕩、浪費がはじまつて以来、以前とは人が変わつたようになり(それまでも被拘束者をパチンコ屋に連れていくようなことはあつたが)、最近ではアル中に近く、その上睡眠薬を常用するようになつており精神状態は極めて不安定である。

右の次第であつて、被拘束者に対する現在の監護教育は、極めて不十分な状態にある。

(二) 請求者の現在の環境

(1) 経済的基盤

請求者は、前述したように、観光ホテル「山万」において仲居の仕事をしており、給料一八ないし二〇万円のほかチップとして月平均一〇万円位の収入を得ている。社宅は一〇畳、六畳の二DKであつて家賃は一か月一万八〇〇〇円であり、被拘束者と暮らして行くに十分である。

請求者は、何か小さな店を持ち、併せて以前のように日本舞踊を教えて生計を立てたいと考えている。

(2) 母親の愛情

幼児期の子供にとつて必要不可欠なものは、母親のきめ細やかな愛情、肌に触れながらの保育である。請求者は、自分のお腹をいためた被拘束者を心底愛している。分身者に対する強くて深い情愛と共に、母親として当然得るべき子の躾及び養育についての堅実な意見も有している。請求者こそ、被拘束者の精神的、肉体的、社会的成長すなわち被拘束者の幸福に不可欠であり、まして前述した如き拘束者との比較において請求者の方が適していること一見して明白である。

(三) 以上のとおり、拘束者には監護能力はなく、被拘束者は請求者の愛情の下に監護されることが最も幸福であることが明白であるから、本件拘束の違法性は顕著である。

よつて、法二条及び規則五条により、被拘束者の即時釈放を求める。

二  請求の理由に対する拘束者の認否

1  請求の理由1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、拘束者が現在被拘束者を監護している事実は認め、その余の主張は争う。

3(一)  同3の(一)、(二)の事実は認める。

(二)  同3の(三)及び(四)の事実は否認する。

拘束者は得意先の接待で錦糸町の飲食店をよく使つたことはあるが、それを拘束者の遊興、女遊びというは全く独断と言わざるを得ない。

また、拘束者が湯水のごとく金銭を浪費した結果、会社が倒産の危機に直面した、など針小棒大に表現するが、そのころ会社は順調であり、世間の経済状態が不況で悪化していつた昭和五八年秋口ころ、会社経営もうまく行かなくなつたものである。

更に、フミは不眠症であり、たまたま睡眠薬を飲み過ぎた結果医者に行つたものであつて、自殺未遂をしたわけではない。

(三)  同3の(五)の事実のうち離婚届、婚姻届の各提出の事実は認めるが、その余は否認する。もともと拘束者、請求者が自宅で一杯飲んでいるとき、たわいない言葉のやりとりから離婚届に署名したもので、請求者も主張するとおり、右届出後も平素と変わりなく一緒に生活していたものである。

(四)  同3の(六)の事実は否認する。

(五)  同3の(七)の事実のうち、昭和五九年二月二日、請求者が、被拘束者と、近くの借家に出た事実は認めるが、その余は否認する。

(六)  同3の(八)の事実のうち、昭和六〇年二月一六日、請求者が被拘束者を連れて、家を出たことは認め、その余は否認する。

4(一)  同4の(一)の事実のうち、請求者が「山万」に勤めたこと、被拘束者が、乙町立乙第一小学校に入学したことは認めるが、その余は否認する。

(二)  同4の(二)の事実のうち、盗聴器を仕掛けたことは否認し、その余は認める。

(三)  同4の(三)の事実のうち、拘束者が登校途中の被拘束者を待ち伏せして、強引に車に押し込み連れ去つたことは否認し、その余は認める。拘束者が五月六日夜、「山万」に行くと、同ホテル脇に別陳の建物(同ホテルの寮)があり、そこで被拘束者の自転車が目に止まつた。ややすると被拘束者が現われ、拘束者の顔をみるなりかけ寄つてきて泣きじやくり、「お父さんと東京の家へ帰りたい」と訴えた。そしてその際、拘束者と被拘束者は学校の道具を持つて、翌朝会う約束をしたものである。

落ち合つた拘束者と被拘束者は、歩いてタクシー乗り場へ行き、タクシーで駅まで来て、列車で東京に帰ってきたものである。

5(一)  同5の(一)の(1)の事実は認める。

(二)  同5の(一)の(2)及び(3)の事実は否認する。

(三)  同5の(二)及び(三)の事実は否認ないし争う。

三  拘束者の主張

1  拘束者の被拘束者に対する愛情と監護の現況

(一) 拘束者は、大変な子煩悩であり、日曜日など拘束者の仕事が休める時には、二人で動物園、遊園地などよく行つたものである。子を思う親心は、請求者に勝るとも劣らないものがある。

昭和六〇年二月一六日拘束者が知らないうち、請求者が被拘束者を連れ去った後も、被拘束者が通つていたJ幼稚園に出向き、何とか卒園証書を交付してもらえるよう交渉し、また、小学校入学手続の詳細につき、丙小学校、区教育委員会を何度も往復している。

(二) 被拘束者は現在、肩書地の○○マンション五階五〇三号 床面積七七・七一平方メートル(二三・五坪)三LDKに拘束者、拘束者の母親フミと住んでいる。

この建物は、集合住宅としては一五階建六棟もある規模の団地であり、植栽、子供の遊び場、アスレチック設備もあり、子供の育つ環境としては格好の住いである。

被拘束者は昭和六〇年五月一〇日より、前記丙小学校に通学している。そして、被拘束者は、J幼稚園や地元の多数の友達と遊ぶ毎日であり、喜々として現在の生活を楽しんでいる。夕食時など、フミが友達の家を探し回る程である。

夜は拘束者が短時間ではあるけれど被拘束者の部屋で勉強を教えているし、その後はテレビで野球中継を一緒に見ている。

2  拘束者の経済状況

請求者は甲野ガラスは倒産し、拘束者の定職がないかの如くいうが、右会社には大口債権者「Aガラス」、各金融機関のバックアップもあり、従前どおり営業活動を継続している。

同社は内装工事の仕事が主であり、マイアミグループ(全国に喫茶店一一〇店舗あり、うち都内には七〇店舗)の店舗改装の仕事が相当量ある。甲野ガラスは、月商四〇〇万円、荒利益六五%、純利益三〇%の会社であり、フミ、拘束者は合計八〇万円からの給料をとっている。

ところで、甲野ガラスの負債は合計七〇〇〇万円程あり、毎日各返済額合計は五一万五〇〇〇円である。

拘束者、フミの給料のうち、月五一万五〇〇〇円は旧債の返済にまわり、家族の実収入は残りの三〇万円弱と四階建旧店舗の賃料収入(三・四階で一七万円、二階八万円。)との合計五五万円である(一階部分は現在甲野ガラスの事務所である。)

その他、右会社と関係ない個人的負債として、日本信販等のクレジットカード関係があるが、この返済も話がついている。

3  被拘束者の請求者の下での生活状況

請求者と被拘束者のホテル「山万」社宅若葉寮での生活は、次のとおりである。

請求者は朝七時に出勤、夜九時に帰つてくる。但し、当番の時は夜中一二時ごろである。被拘束者は一人で食事をし、一人で風呂に入る。被拘束者は精神的不安定のためか夜中にしばしば目を覚ますことがあつたが、請求者が帰つていなかつたり、男が隣りの部屋に来ている日もある。夜九時に帰るときは、請求者は酒を飲んでおり顔をまつ赤にしている(生来請求者は酒好きであり、拘束者と生活していた時も一緒になつて飲んでいた。)。

4  請求者の浪費状況

請求者は昭和五八年一〇月には、会社も左前になり、生活費もくれず、米代に事欠いたというが、請求者自身、赤坂の木下物産から拘束者が知らないミンク毛皮コート二〇八万円、同ストール六二万四〇〇〇円の買物をしており、かつ、昭和五八年七月・八月には各三〇万円、同一〇月には六〇万円の支払いを、会社や拘束者の金でしている。

また、日本橋人形町の鈴やでは、現在残一九一万円の着物等を買物している。

他に、日本信販カードにより、銀座天賞堂で高級時計二個合計三三〇万円の買物(この時は拘束者も四五〇万円の時計を買つている。)を、更に女性ブレスレット・ネックレス・指輪など、合計八〇万円の買物もしている。

この時期はすべて昭和五八年夏から秋口にかけてである。

また、昭和五九年二月三日請求者が被拘束者を連れ近所の借家に行つた翌日、請求者は、気狂いのようになつて、四階建旧店舗には請求者の金も使われているとの理由で、三・四階の造作をメチャクチャに損壊したのであるが、その修復費に四七〇万円もの金がかかつており、それとても浪費といわざるを得ない。

5  被拘束者の希望

被拘束者は、請求者に引き取られることを強く恐れ、拘束者及びフミとの東京での生活を願つている。

6  以上の事情からすると、被拘束者の将来のためには請求者と拘束者とのいずれで養育監護した方が良いかとの観点から判断すると、現状では、拘束者の下でなされるべきであると考えられる。

第三  証拠<省略>

理由

一請求者と拘束者は、昭和五二年一一月三〇日婚姻の届出をし、その後昭和五八年九月一三日一旦協議離婚の届出をしたが、同月二九日再度婚姻の届出をした夫婦であること、被拘束者は、請求者、拘束者間の長男として昭和五三年五月二日出生したこと、請求者は、昭和六〇年二月一六日、被拘束者を連れて、東京から和歌山県乙町に家出し別居するに至つたこと、同年五月七日、拘束者は、被拘束者を東京に連れ戻し、現在被拘束者を監護していることは、当事者間に争いがなく、後記三の2の(一)及び(三)に認定の本件拘束に至るまでの経過の各事実に、請求者及び拘束者に対する各審尋の結果を総合すると、請求者と拘束者間の夫婦関係は、現在破綻に瀕している状態であることが明らかである。

二右一に認定の事実によれば、被拘束者は、現在七年三か月の年令であつて意思能力のない児童であることが明らかであり、拘束者が被拘束者を監護する行為は、当然に児童の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、その監護行為自体が法及び規則にいう拘束に当たると解すべきである(最高裁判所昭和四三年七月四日判決・民集二二巻七号一四四一頁参照)。

ところで、法による救済の請求においては、規則四条本文により、拘束の違法性が顕著であることがその要件とされているが、前判示のとおり夫婦関係が破綻に瀕している場合において、別居中の夫婦の一方から他方に対し、法に基づきその共同親権に服する子の引渡しの請求がなされたときは、子を拘束する夫婦の一方が法律上監護権を有することのみを理由としてその請求を排斥すべきでなく、子に対する現在の拘束状態が実質的に不当であるか否かをも考慮してその請求の当否を決すべきものであり、右拘束状態の当、不当を決するについては夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるべきものである(前掲最高裁判所判決参照)。

三そこで、本件において、被拘束者に対する拘束の違法性が顕著であるか否かについて判断する。

1  請求の理由3の(一)、(二)の事実、同3の(五)の事実のうち、離婚届、婚姻届の各提出の事実、同3の(七)の事実のうち、昭和五九年二月二日、請求者が被拘束者と近くの借家に引越した事実、同4の(一)の事実のうち、請求者が「山万」に勤め、被拘束者が乙町立乙第一小学校に入学したこと、同4の(二)、(三)の事実のうち、盗聴器を仕掛けたこと及び拘束者が被拘束者を待ち伏せして強引に車に押し込み連れ去つたことを除くその余の事実、同5の(一)の(1)の事実は当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の各事実が一応認められる。

(一)  昭和六〇年二月一六日に請求者が被拘束者を連れて別居するまでの夫婦の生活状況及び被拘束者に対する監護養育状況

(1) 請求者と拘束者とは、昭和五二年六月ころ、東京都江東区○○四丁目の江東マンションにて同棲し始め、同年一一月三〇日婚姻の届出をし、住居を同区○○五丁目の公団住宅に移し、昭和五三年五月二日、長男である被拘束者が出生した。拘束者の実家では、拘束者の父親が、同区○○五丁目において家業である板ガラス業を営んでおり、同所にて妻(拘束者の母親)のフミと暮らしていた。拘束者は、先の住居地から通つて右板ガラス業を手伝い、給料として月二〇ないし二五万円を受け取つていた。

(2) 昭和五四年、拘束者の父親が死亡し、家業の経営はフミがみるようになつた。そしてフミが一人で暮らしていることから、拘束者ら一家も同居することになり、昭和五五年一〇月ころ、フミが居住して家業を営んでいた建物を取り壊し、四階建のビルを建築した。新築ビルは、一階を店舗、二階をフミの居室、三階を拘束者らの一家の居室とし、四階は、請求者が日本舞踊の名取であつたことから同所で舞踊教室を開設することとし、舞台などを設けた。

(3) 右ビルの新築を契機に板ガラス業を法人化することとし、そのころ、甲野ガラスが設立された。甲野ガラスの売上は、月平均五〇〇万円はあり、荒利二〇〇万円は確保できたので、業経は順調だった。拘束者も一生懸命仕事に従事していた。

(4) 一方、請求者も、翌昭和五六年四月、日本舞踊の教室を開設した。毎週月曜日と木曜日の午後二時から午後五時までは、先の○○の公団住宅に出げいこをし、火曜日と金曜日には、ビルの四階で午後一時ころから午後八時ころまでけいこをした。水曜日と土曜日には、請求者自身と被拘束者のけいこのため、請求者は、被拘束者を連れて師匠のもとに出かけていた。

請求者は、被拘束者に対し、三歳から舞踊を習わせ、礼儀作法等をしつけていた。

請求者は、けいこの合い間をみては夕食の仕度をするよう努めていたが、これができないときには、同居のフミが仕度をした。また被拘束者は、請求者が四階でけいこをしている間、その様子を見たりなどしていたが、請求者が出げいこのときは、フミが被拘束者の世話をしたりして協力していた。

(5) その後昭和五六年春ころから、拘束者の遊興、女遊びが始まり、東京錦糸町のクラブ「シルバー」等で飲酒して歩き、女性に金を注ぎ込むようになつた。

他方、請求者は、踊りの師匠ということもあつてか、高価な着物を買つたり、高価な時計を拘束者とともに買うなどしていたが、拘束者の以下のような浪費、遊興に伴い、次第に生活をきりつめ、ついには、その日の生活もやつとというような状況になった。

(6) 拘束者の遊興、女遊びは、次第にひどくなり、多額の支払いにカードを利用したり、甲野ガラスの小切手で支払うなどした。

フミは、甲野ガラスの経理をみていたが、入金するはずの金が入らなくなつたり、決済資金がなくなつたりしたため、自分の老後のための貯金も使わざるを得ない状況となり、心身の疲労のため睡眠薬を常用するようになり、昭和五七年二月ころには、睡眠薬を多量に飲み入院する事件も起こつた。

(7) 右事件の後、甲野ガラスの経営は、拘束者が責任をもつてやることとなり、拘束者は、真面目に働くようになつたが、その後、再び遊興し始めた。決済資金不足の知らせに、フミと請求者は金策に走り、またフミは、自分の貯金から支出したりなどした。

(8) 昭和五八年八月三〇日、拘束者が前記「シルバー」に関して振り出した小切手の決済資金が当座になかつたため、フミは、奔走して現金を集め、不渡りを防いだものの、フミと請求者の心労は頂点に達し、両者は拘束者の居ると思われる「シルバー」に二度と遊ばないよう話をするために出向いたが、拘束者は、先回りして自宅に帰り、四階のけいこ場においてあつた請求者の振り付けノート、テープなどを叩き付けるなどして暴れまわり、パトカーが臨場する騒ぎとなつた。

右事件で、請求者は、親権者を請求者とする離婚届を拘束者に突き付けて署名させ、同年九月一三日届出をすませた。

しかし、請求者は、けいこ場のことや後日予定されていた踊りの発表会のことを考え、届出後も拘束者と従前どおりの生活をしていた。そして今後真面目に働くとする拘束者の懇願もあり、被拘束者のことも考え、同月二九日再度婚姻の届出をした。

(9) しかし、その後も拘束者の遊興は止まらず、連日借金の催促等がくるようになつた。

昭和五九年一月二日、請求者は、今年からは生活態度を改めるよう懇願したが、口論の末けんかになり、請求者は左第九肋骨骨折の傷害を受け、入院した。

(10) 請求者らの生活状況は、右のとおりであり、請求者と拘束者は、拘束者の遊興をめぐってしばしば口論となり、拘束者は、食卓をひつくり返したり家具を壊したりした。これらの行為は被拘束者の目の前でなされたこともあつた。

そして拘束者は、同月二〇日には、被拘束者が正月のお年玉として皆からもらつて貯金箱に入れていた五〇〇〇円まで持ち出すに至つた。請求者から父親の資格がないととがめられ、その日のうちに返したものの、被拘束者は、父親にわからないところに隠すと言うなど、被拘束者自身も拘束者の振舞による荒れた家庭環境の犠牲になつていた。

(11) 同年二月二日、請求者は、被拘束者を連れて近くの借家に引越した。しかし、四、五日で拘束者に見つかり、真面目になるから戻るよう懇請された。被拘束者も子供ながらの言葉で精一杯取りなしたため、約一ケ月後、請求者は、再び自宅に戻つた。

(12) しかし、その後も、拘束者の生活は変わらず、かえつてサラ金等金融機関からの電話による、あるいは自宅に押し掛けての取立てがより厳しくなつた。

拘束者は、被拘束者に対し、催促の電話に出たら、誰もいない旨言うようしむけたり、自宅に押し掛けてきたときは、被拘束者にも不在を装わせたりした。

また、拘束者は、金融機関から自宅近くの喫茶店で厳しい催促を受けた際、拘束者を探しにやつてきた被拘束者をその場に同席させるなどしたこともあった。

(13) 請求者は、以上のような生活状況の劣化に伴い、心身とも疲労の極にあつたフミに被拘束者を任せきりにはできないため、昭和五八年からは出げいこの際も被拘束者を連れて行くようになり、昭和五九年からは、出げいこをやめるなどしていたが、先の状況からこれ以上被拘束者を崩壊した家庭環境の中に置くことはできないと考え、踊りを捨てて、二人で、拘束者の見つからないところでやりなおす決意を固め、昭和六〇年二月一六日、被拘束者を連れて家出した。

その後甲野ガラスは同年三月に不渡りを出し、事実上倒産した。

(二)  請求者による乙町での被拘束者の養育状況等

(1) 請求者は、家出の後、和歌山県乙町に所在する「ホテル山万」に容室係の見習いとして勤め、被拘束者と二人で、ホテルと同一敷地内にある社宅の寮に住み込んだ。

(2) 昭和六〇年四月、被拘束者は、近くの乙町立乙第一小学校に入学した。

(3) 請求者の勤務時間は、午前七時三〇分から午前一一時までと、午後三時から午後九時までであり、月に三、四回程当番として午後一一時ころまで勤務するというものであった。

寮では、居住する子供たちのために、三食が用意されていたが、請求者は、被拘束者と一緒に朝食をとつたり、昼のおやつとか夜食を用意してやつたりした。そして、請求者が昼休みに戻つていると、学校から帰宅した被拘束者の宿題をみたり、宿題をすませてから遊びにやらせたりなどしていた。寮には同年令の子もいて、被拘束者は、一緒に遊んだりしていたが、請求者は、ホテルで勤務中も被拘束者らが危い遊びなどしているのを見かけると注意する等の配慮をしていた。被拘束者は、夕食を他の子供たちと食堂でとつた後、皆と風呂に入つたりテレビを見たりして過ごし、請求者が勤めから戻つてくると、その日のことなどを報告などした。請求者も被拘束者との語らいの機会を多く持つよう心掛け、また早目に帰宅できた際には、被拘束者と一緒に風呂に入るなどした。そして休みの日には、一緒に近くの海に出かけたりなどして遊んだ。

被拘束者は、東京での前判示のとおりの家庭環境から解放され、日増しに健康で明るい生活を取り戻し、請求者の監護の下で、のびのびとした安定した生活を送つていた。

(三)  本件拘束に至る状況

(1) 請求者らの家出後、拘束者は、請求者の知人、親戚などに請求者らの居所を尋ね回つたり、請求者が従来依頼していた弁護士に連絡先を問い合わせたりしていたが、どうしても請求者らを発見できず、興信所に所在調査を依頼した。

(2) 拘束者は、「お願い、この親子を捜して下さい、一般公開」と題し、請求者及び被拘束者の顔写真を載せ、請求者の実家の住所、請求者の他の三人の姉妹の氏名を印刷したビラを作成し、これら十数枚を埼玉県新座市の請求者の実家の近辺に貼付した。

さらに拘束者は、昭和六〇年四月下旬ころ、興信所の調査員一人を同道し請求者の実家を訪れた。そして右両名によつて家人の隙に乗じて、電話に盗聴器が仕掛けられた。

(3) 右盗聴器により請求者らの居所を察知した拘束者は同年五月六日夜、興信所の調査員一人と共に、請求者が居住する「山万」の寮に赴いた。そして、「山万」社員の知らせでかけつけた請求者と口論となり、乙警察署警察官も出動する騒ぎとなつたが、拘束者は、その日は、「山万」の社長の説得により、翌朝冷静な話合いをし、それまでの間は、お互い被拘束者を黙つて連れ出さない旨右社長に約束して、一旦引き上げた。

(4) しかしながら、拘束者は、翌朝学校へ登校途中の被拘束者を連れてタクシーに乗り、そのまま東京へ戻つた。そして請求者には、「話がしたかつたら東京へ戻つてこい」と電話をしてきた。

以上が、拘束者が本件拘束を開始するに至るまでの経緯である。

(四)  拘束者の下での現在までの被拘束者の養育状況、拘束者の下での環境等

(1) 生活環境

拘束者は、肩書地のマンションで被拘束者と居住し、昭和六〇年六月ころからは、フミも同居している。

右マンションは、三LDKで、一五階建の集合住宅が六棟ある団地にあり、近所には被拘束者の遊び友達がいる。

(2) 生活状況

被拘束者は、江東区立丙小学校に通学している。その生活状況は、次のとおりである。朝食はフミが作るが、被拘束者はあまり食べたがらない。被拘束者が登校する時フミも家を出て甲野ガラスの事務所のある前記ビルの一階に店番をするために通つている。そして被拘束者は、午後二時ころ学校から帰ると、右ビルのフミの許に帰るが、すぐ遊びに出て行き、午後六時ころビルに帰る。夕食はフミが作り、食事をとりはじめる午後六時半から七時ころにかけて拘束者が帰ると、三人で夕食をとつた後、前記マンションに帰る。そして、被拘束者は、テレビゲームをしたり、テレビを見たりして過ごしている。フミは現在六五歳であるが、被拘束者を自分の生きがいというなど被拘束者をかわいがつており、被拘束者は、右のような生活状況に一応安定している。

(3) 拘束者の経済状況

拘束者は、甲野ガラスを前記ビルの一階を事務所として経営している。取引先のAガラス株式会社の協力もあり、甲野ガラスの借金七〇〇〇万円余りは、長期返済の方向でほぼ話がついており、右Aガラスの援助で従前通り営業している。ビルの二階ないし四階を賃貸し、その家賃収入と事業での収入から借金の返済額を引くと一か月の収入は、三十数万円位となつている。

(五)  請求者の下での現在の生活環境

(1) 請求者の経済状況

請求者は、現在「ホテル山万」の正式の社員となり、客室係として勤務し、収入は、一か月給料二〇万円とチップの収入一〇万円位の合計三〇万円位である。

(2) 生活環境

請求者は、「ホテル山万」の同一敷地内にある女子・母子寮の「若葉寮」に居住している。同寮は、三階建で、寮母として常勤の二人が居り、寮内の子供たちのため三食の仕度をしている。同寮は、保育施設、食堂などが完備され、敷地には遊具設備も設置されている。現在右の寮内には、三歳から小学校五年までの四人の子供が居る。請求者の居室は、八畳、六畳、ダイニングルームの部屋であり、家賃は月額一万八〇〇〇円である。

「ホテル山万」や「若葉寮」は、和歌山県乙町の海岸沿に所在して自然環境に恵まれており、また「ホテル山万」は、高級ホテルであつて、職場環境としても優れているものである。

以上のとおりの事実関係が一応認められ、<証拠判断略>他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、拘束者は、被拘束者の乙町での生活状況に関し、被拘束者が夜中に目を覚ますと男が隣りの部屋に来ている日もあつた旨主張しているのでこの点について判断する。

被拘束者本人に対する審尋の結果中には、右と同旨の供述が存し、弁論の全趣旨により成立の認められる疎乙第一七号証及び拘束者本人尋問の結果中には、被拘束者からの伝聞として右に沿う供述が存する。しかし被拘束者の右の各供述は、時間が経つにつれて次第に詳しい内容となり、男が請求者らの居室に入つて来る経路についてまで供述するに至るなど不自然な点が存し、他からの影響を受けやすい児童の証言としてその信用性にはかなりの疑問がある。そして、請求者には男性関係に関するうわさが全くなかつた旨の<証拠>並びに男性関係の存在を否定する請求者本人尋問の結果に照らすと、前掲各証拠によつては、拘束者主張の事実を一応認めるには十分でなく、他にこれを一応認めるに足りる証拠はない。

3(一)  以上認定の事実関係の下において、被拘束者を、請求者と拘束者のいずれに監護させるのが被拘束者の幸福に適するかについて次に検討する。いうまでもなく、この点については家庭裁判所において、科学的な調査、検討をも経た上で、慎重に決せられるべきものではあるが、当裁判所として、人身保護請求手続において、収集可能な資料によつて判断する限りにおいては、次のとおりである。

(二)  当裁判所は、現に当裁判所にとつて一応明らかとなつた前記事実関係の下においては、被拘束者を拘束者に監護させるよりも請求者に監護させる方が、被拘束者にとつての幸福に適することが明らかであると判断する。その理由は以下に述べるとおりである。

(1) 請求者が被拘束者を連れて乙町に別居するに至るまでの夫婦の被拘束者に対する監護養育状況は先のとおりであつて、当初こそは請求者と拘束者の安定した生活状況の下で、請求者によつて被拘束者は礼儀の正しい子供としてしつけられ養育されていたものであるが、拘束者による遊興、浪費によつて、被拘束者をめぐる家庭環境は次第に破壊され、子供の養育状況としても非常に劣悪な状況に陥つていたものというほかはない。拘束者は、先のとおり、被拘束者の貯金にまで手を出したり、金融機関からの厳しい督促状況のさなかに被拘束者を置くような態度をとつていたのである。そのような拘束者の生活態度、被拘束者に接する態度は、子の生活環境を成育に適するように整える親の責務について自覚し、かつ、真に被拘束者に対する愛情を持つている者ならば到底採り得ないものといわれても仕方がない。また、請求者が、被拘束者を連れて昭和六〇年二月一六日に家出した後、拘束者が請求者らを探し出すにあたつて採った手段は、前判示のとおりで、拘束者は、請求者の実家のプライバシーを違法に侵害する行為をしたものと評価されてもやむを得ない。いかに突然家出した妻子を探すためとはいえ、拘束者は、自己の目的のためには他人の利益は侵害されても止むなしとするものとも評される行動を採つたものというべきであろう。さらに、前述のとおり、拘束者は、被拘束者を連れ戻す際には、第三者である「ホテル山万」の社長との間で、翌朝請求者と話し合うこととし、それまでの間、被拘束者を連れ去るようなことはしない旨約束しておきながら敢えてこれを無視し、登校途中の被拘束者を一方的に連れ去るという行動に出たものであり、右拘束に至る手段の不当性は明らかであるが、この行動もまた、拘束者自身の独善的な性格を如実に示すものであつて、責任ある態度とは到底いえない。

右のとおりの拘束者の被拘束者に対する従前の態度、拘束者の行動、性格を考慮すると、今後拘束者が被拘束者に対し、責任と愛情を持つて学令期の児童にふさわしい養育環境を整え、教育的配慮、しつけをなすことができるかについて、当裁判所としては、多大の疑問を抱かざるを得ないものである。そればかりか、被拘束者を拘束者の監護の下に置くことは、かえつて被拘束者の今後の人格形成にあたり、好ましくない影響を与える可能性さえうかがわせるといわなければならない。

また、フミは、先のとおり、被拘束者を孫として溺愛していることがうかがわれるのであるが、フミが、被拘束者に適切な教育、しつけを施すべき監護者としての責務を認識して被拘束者に接していることについての疎明はないことに加え、フミが現在六五歳という高令にあることをも考慮すると、フミが被拘束者に対し今後十分な教育的配慮をなしうるかについてもやはり疑問と考えざるを得ない。

さらに、拘束者及びフミの現在の生活状況は、前判示のとおり一応安定してはいるものの、それは多額の借財を背負いながら債権者の一応の協力によつて支えられているとも評されるものであり、拘束者あるいは債権者らの今後の態度如何によつては、いつ従前のような生活状況に陥るか判らないといつた不安定な側面を否定できないことに加え、弁論の全趣旨によれば拘束者は、本件において、子供の養育環境を破壊するに至つた経過について、必ずしも十分な責任の自覚及び反省の態度もうかがうことができないことをも考慮すれば、今後の生活の安定につき肯定的な評価はし難いといわざるを得ない。

(2) これに対し、請求者の生活環境、生活状況は、前判示のとおり一応拘束者のために良好と認められるレベルに達しているのであつて、今後においても特段不安な点は認められない。

また、請求者は、先のとおり、舞踊のけいこで忙しい日を過ごしていた際にも、被拘束者のしつけに対する配慮を欠いたものではないし、また、乙町での生活においても、被拘束者に対し、親としての教育的配慮を伴つた愛情を注いでいたと一応認められる。そして<証拠>によると、請求者は、今回の件を通して、改めて自分と子供の将来について思いを致し、被拘束者に対する教育についての指針を持つて、今後被拘束者が健全に成長するよう努力し、学令期の児童にふさわしい環境を整えるべく決意していることが一応認められる。

請求者の下においては、前判示のとおり、被拘束者と接触できる時間こそ十分とはいえないにしても、請求者の右の態度からすると、その短所を補うことも可能であり、また、現に、請求者は、乙町での被拘束者との同居生活において、被拘束者との接触を深めるように努めていたのであり、被拘束者も健康でのびのびと生活できていたと一応認められること前判示のとおりである。

(3) 以上、請求者と拘束者の被拘束者に対する従前の監護養育状況及びこれから期待できるそれを対比すると、被拘束者を今後請求者の母親としてのきめ細かい配慮の下に監護させる方が、被拘束者にとつてより幸福であることは明らかであるというべきである。

もつとも、被拘束者は、本件準備調査期日での審尋において、今後請求者の下には戻りたくなく、拘束者との生活を続けたい旨供述している。しかしながら、被拘束者は、その理由の一つとして、拘束者に男性関係があるからとも供述しているのであるが、この点については前判示のとおり疑問が多く、このような供述をするに至つたことについては、被拘束者が他からの影響を受けやすい児童であることからすると、拘束者からの影響があることもうかがわれ、先の被拘束者の供述が真意であるかどうか図りかねる面もある。もつとも、被拘束者は、現在拘束者の下での生活に一応順応していることは前判示のとおりであり、再び被拘束者の右生活環境を覆し、請求者の監護の下に移すことによつて、被拘束者が一時的に、再度乙町における請求者の下での生活に順応するための負担が課されるという不利益を受けることが予想されないではない。

しかしながら、被拘束者は、従前請求者の監護の下で、乙町での生活に十分順応しのびのびとした生活をしてきたことは前判示のとおりであるから、被拘束者に対する今後の監護養育条件、現在の生活の安定性等先の観点から、被拘束者を請求者の監護の下に再び戻すことは、被拘束者の今後の幸福に適することは明らかなことであつて、被拘束者の前記供述及び被拘束者が現在の生活に一応順応していることは、先の結論を左右するに足るものとは到底いえないのである。

(三) 右のとおり、被拘束者にとつては、請求者に監護させることがその幸福に適することは明らかであり、さらに本件拘束が開始されるにあたつて拘束者によつて採られた手段、方法の不当性は前判示のとおりであつて、当裁判所は、拘束者の被拘束者に対する現在の拘束は違法性が顕著であると判断するものである。

四よつて、請求者の本件請求は理由があるからこれを認容して被拘束者を釈放し、規則三七条後段により被拘束者を請求者に引き渡すこととし、手続費用につき法一七条、規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤田耕三 裁判官山田俊雄 裁判官橋本英史)

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